山で飲んだコーヒーが、なぜあんなにも記憶に残るのか
山から帰ってしばらく経ったあと、ふと、思い出すことがあります。
景色でもなく、登った標高でもなく、なぜか、あのとき飲んだコーヒーのこと。
山で飲んだ一杯が、
どうしてあんなにも鮮明に残るのか。その理由を、登山と焙煎を続ける中で、少しずつ考えるようになりました。
山では、感覚がひらいている
山にいるとき、私たちの感覚はとても正直です。
風の冷たさ。
木の匂い。
足元の感触。
日常では気づかないことを、山では自然と受け取っている。
そんな状態で飲むコーヒーは、味覚だけでなく、五感すべてで感じている一杯になります。
「よく頑張った」という感情が混ざる
山での一杯には、たいてい、その前の物語があります。
登りで息が上がったこと。
思ったよりきつかったこと。
それでも歩き続けたこと。
コーヒーを口にした瞬間、そうした時間が、すっと肯定される感覚があります。
「ここまで来てよかったな」
その気持ちが、
味に重なって、記憶に残る。

不完全だから、忘れにくい
山で飲むコーヒーは、正直言って、完璧ではありません。
風で少し冷めたり、お湯の量が微妙に違ったり。
でも、その不完全さが、かえって印象を強くします。
人は、すべてが整ったものより、少し余白のある体験をよく覚えています。
山のコーヒーは、まさにその余白の塊です。
焙煎士として感じる「記憶に残る味」
焙煎をしていると、「派手さ」や「分かりやすさ」に目が向きがちになります。
でも、本当に記憶に残る味は、いつも少し静かです。
強すぎず、主張しすぎず、その場の空気に溶け込む。
山で飲むコーヒーは、
そのことを何度も教えてくれました。
一杯が、その日の山行を締めくくる
コーヒーを飲むと、自然と「区切り」が生まれます。
ここまで歩いた。
ここで少し休もう。
その区切りがあるから、山の一日が、ひとつの物語として残る。
だから、何年経っても思い出すのは、あのときの一杯なのかもしれません。

山の記憶は、日常に戻っても続いていく
家でコーヒーを淹れていると、ふと、あの山を思い出すことがあります。
同じ豆なのに、味以上のものが、そこに重なってくる。
山で飲んだ一杯は、その後の時間にも、静かに残り続けます。
次回は、
「山と日常をつなぐコーヒーの考え方」について、
もう少し掘り下げてみようと思います。
また山で、
また一杯。
